改めて、潔く、納得して 

年に何度か気持ちを新たにする日があります。今日はその日です。

お陰様で「得意なこと、何時間やっていても苦にならない大好きなことで、世の中に貢献し、それで報酬を頂戴して継続していく!」という思いを実現してきました。私にとってそれは、庭をデザインをすること、デザインした庭をつくること、出来た庭をさらによくすること、庭や植物について語ることです。少しづつですが、それらが出来て幸せです。

でも誰に頼まれもしないのに、この仕事を始めたので、周りの方に言われることに影響されて、考え込んでしまうことも多々あります。

最近も、虫のついた木の前でその家の方と話しているとき、通りがかったご近所の方が「木があると大変やな。」と言われ、とても複雑な気持ちになりました。自分は植えないで良かったよという感じが見えました。何も言えませんでした。その方は、その木が冬を乗り越えて小さな芽を出した姿や花を咲かせた姿、真っ赤に色づいた姿を見ていないのでしょう。木と暮らす良さを知らないのかもしれません。

当然ながら、虫がついたら気持ち悪いというほうを優先してしまう人もいます。さらに植えたが最後、ずっと手入れをしなければと負担に思い、庭は要らないという人。むしろそういう人のほうが多いかもという印象です。色々な価値観があっていいと思っていますが、求められる一方で、そんな例をたくさんたくさん見せつけられて、勝手に落ち込む時も結構ありました。私のしていることって何なんだろう?って。

人それぞれ。だからいいのですから、そこで悩むのは可笑しな話ですよね、まったく。世の中の役に立てたらと言って、世の中全部の役に立つことは出来るはずもありません。あれこれ全部耳に入れる必要はないのに、時々フラつくのです。

 

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この画像は「BO BEDRE」という海外のサイトより。コペンハーゲンのあるお宅です。日本の住宅もこのくらいのインテリアは普通にやれそうですが、窓外の景色はどうでしょう。この庭への視線の抜け方が、日本では実現出来ないことが多い。カーテンつけちゃうし。

 

でも逆にこんなことも。

自転車でウチの前を通りがかった中学生くらいの子数人に「あー、この家いいー!」って言われたこともあります。その時、私は事務所の中にいて、その子達は私が聞いていることを知りません。周りの家と違うのは植物てんこ盛りというところ位だから、やっぱりそこを認めてくれたのかなと、密かに喜んでいました。

またある日のこと。事務所にいると、前の道を歩く3~5歳くらい?の女の子とお母さんのやりとりが、窓から聞こえてきました。

女の子:「ねー、ねー、この家なぁに?ねー、なぁに?」 お母さん:「お庭やさん。」

一応小さな看板はあるけれど、子供だからわからない。パッと見は普通の家ですのに、ちゃんとコーディネートされていて機嫌よく育っている植物があると、子供ながらも「なんか違う」と目がいくみたいです。

こんなふうに素直な子供さんに、褒められたり注目されたりすると、本当に嬉しくなります。私のやり方は案外いいんじゃないか。本能で言ってくれているだからと。それにお母さんが「庭やさん」と言ってくれたとき、ちょっと天からの声みたく感じてしまいました。そうだ、私は、街の人に認められているじゃないか、しっかりせねばと。

 

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同じく「BO BEDRE」より。グランドカバーはいわゆる雑草。雑な草なんてホントは存在しませんけれど。緑があると、大地に根ざした家という感じがしますね。

 

今のところこの道以外、ちょっと思いつかないのですから、自分に潔く納得し、自信を持って生きていこう。そして、役に立てるところで使って頂こう。

何年やっても、そうやって改めて思い直すことがあるのです。

 

 

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