有り難い♡お土産記 

今週はお土産を2回もいただきました。出掛けた先で、楽しまれている最中に、こんな私のことを思い出していただけたのかと思うと、本当に有り難いなぁと思います。

ひとつはいつもお世話になっている方から。旅慣れておられて、物を選ぶセンス抜群な方なので、いただくお土産は「私も行ったら絶対買おう!」と思うものばかりです。

 

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いただいたお土産を並べておやつタイム。上から順に、IKEAの箸置き、昼のお菓子「しらすパイ」、「あげ潮」クッキー。美味しかった~!ご馳走様でした。(これを食べるのにフォークは使いませんが(^^;)、セッティングしてみたかったの)

 

IKEAの箸置きは通常、白2個+黒2個、黄2個+青2個というセットで売られているそうですが、4色揃えようとすると8個になります。そんなにはいらないから半分あげるといただいたもの。ちょうど私の苗字に因んだ馬の形で、とっても可愛らしいので嬉しいです。箸置きらしいけれど、デザートスプーンやフォークを置いても似合います。それにしても、IKEAにこんなの売ってたっけな?よく見つけられるなぁといつも感心してしまいます。

 

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IKEAの箸置きは、お洒落にラッピングされてました~(*^^*)ステキ♡

 

そしてふたつ目。ある朝のことです。インターホンが鳴ったのでモニターを見ると、あれ?誰も写っていません。でも小さな声が聞こえます。「あっ!きっと彼だ!」と思ってドアを明けると、やっぱり。

近所のちっちゃなボーフレンドが、栗拾いに行ったとのことで、ぷくぷくしたきれいな栗を持ってきてくれました。そう、モニターにも映らないほど可愛らしい彼ですが、出会うといつも手をふったり笑顔を見せてくれます。

近所とはいえ、一人で訪ねてくるのは、随分と気を使うことでしょうにね。(実は離れたところで、おうちの方が、TV初めてのおつかい風に見守ってるのですが ^-^ )それでも来てくれた気持ちが有り難いし嬉しいので、頭を撫で撫でして「いつもありがとう。」「すごいね、よく言えたね。」「今日もカッコイイね。」なんて褒めまくって、思いっきり讃えます。彼のはにかんだ顔がまた一段と可愛らしくてね♡

栗と一緒に、幸せな時間をもらいました。

 

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いただいた栗。我が家で炊き込みご飯にするのにちょうどいい分量です。

 

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栗ご飯には、必ずもち米をブレンドします。味付けはシンプルにお酒とお塩のみ。秋の味覚を堪能、ご馳走様でした。

 

私は、ここ滋賀に引っ越してくるまで、生まれ育った兵庫で暮らしていて、知り合いに囲まれた日常を送っていました。同級生や友達にもすぐ会えるし、親兄弟はもちろん、ちょっとした顔見知りまで、たくさん。スーパーに行けば、知り合いに出会う確率大なのでスッピンでは行けません。もののやり取りも普通に。そんなことが当たり前でした。それが、知り合いの全くいない場所に家を借り、今度は、誰も私のことなど気にもしないのが当たり前になりました。スーパーにはスッピンでも全然平気です(笑)

大人なので、ホームシックにはならないだろうと思っていましたが、ちょっとなりかけましたね。まもなくディアガーデンを立ち上げたので、寂しがってる暇もなくなりましたけど。

そんなとき、近所の方からお福分けしてもらうようになって、気にかけていただける有り難みを改めて感じました。ありがたいとは、めったにないこと=有り難い、なのですが、その言葉の意味が身にしみたというか。「え?どうして私に?頂いていいのかしら。」と思ったものです。個人として、認めてもらったような気がして、本当に嬉しかったです。それに、県民性でしょうか?滋賀の方は人懐っこいというか、気さくな方が多いのも幸いして、ホームシックはひどくなりませんでした。

それから14年経った今でも、こんな自分を思い出していただけることが、どんなに有難いことかという思いは続いています。思い出していただけた分、心丈夫になって、私はここに根を伸ばしていけたように思います。

だから、ある方を思う時間は、知らず知らず、その方を作っていくんじゃないか。そんな気もしています。

 

 

秋雨の日のオススメ 

秋雨のころとはいえ、それにしてもよく降りますね。人によって、雨は鬱陶しいもの、気を塞ぐもの、物事を停滞させるもの、かもしれません。そんな風に捉えてる雨の感じ方を、きっと変えてくれるであろう1冊を紹介します。

 

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ドミニック・ローホー著原秋子訳「人生で大切なことは雨が教えてくれた」 朝はやく目覚めたので、ダイニングテーブルで読んでいると、心に響く箇所がいくつも。いつの間にか新聞の切れ端がこんなに挟まってた(笑)

 

雨は、どうしてだか自分を内側へと誘う。

雨を受け入れることは、楽しむことは、いやつべこべ言わず、この事象を、ありのままに受け入れることは、人生のすべてを受け入れることにつながっていく・・・。谷なくしては山がないように、辛いことなくしての優しさもない。雨が降らないと虹も見えない、といったシンプルな構造を、私たちはどうしてそのまま受け入れられないのでしょうか。何故いちいちを重くしたがるのでしょうか・・・なんてね。

瞑想、禅の言葉、宗教家や作家の言葉が、雨粒のように散りばめられ、どこから読んでもよい内容です。雨に関する色々なエピソードや似合う事柄なども。シンプルライフで数々の著書があるドミニックさんの静かな言葉は、雨にも合います。

 

今朝の植物たちは、晴れの日とは全然違う美しさです。雨はいろいろなものを洗い流して清めてくれるから、それに潔く身を任せた結果、こうなってるのね。

 

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葉に残る雨粒の美しさ。

 

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生垣のレイランディは細かな葉。だから雨粒も細かで、クリスタルガラスを散りばめたかのよう。

 

例えば植物がなくても、窓の外に水が溜まるような、出来ればちょっと小ジャレた器を置いて、雨粒を捉えるのも一興かと♡

 

 

クラフトタイムー秋色アジサイのリース 

今月の中頃に活けていた秋色アジサイがうまい具合に渇きました。いま時分のアジサイは、株自体がだいぶ乾燥しており、ドライフラワーにしやすいのでオススメです。それで、先週末、久しぶりにリースを作りました。5本あったので、テーブルに飾るセンタピース用とドア用にひとつづつ。

アジサイは初夏の花ですが、放っておくと、大抵は色がまだらに褪せ、紅葉するもの。緑っぽい中に青やピンク、赤が混じって、初夏の頃とはまた違った良さがあり、およそ11月末頃までその様子を楽しめます。近年「秋色アジサイ」と書かれて売られているものは、その中でもとりわけいい状態で紅葉する品種のことを指します。大株でないと、なかなか毎年秋色を楽しめないのですが、シックな落ち着いた色合いは、やはりこの時期ならではの美しさです。

 

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リースの真ん中にキャンドルを置くと、センターピースらしい。これはモーブ色になった花で作りました。

 

私はクラフト歴ウン十年。昔からものづくりが好きだったので、いつから始めたかなんて、もう定かではありません。道具や工具類はあらかた揃ってきました。何か作ろうかなと思い立ったとき、主な材料さえあれば、すぐ取り掛かれるのが、長年やってる利点でしょうか。このリースも、夕方小一時間程で完成しました。

今回使う道具はグルーガン。小房に分けたドライアジサイを、リース台(細い枝を丸めたよく見かけるアレ)に固定するのに使います。リース台の隙間に少しグルーを垂らし、乾かぬうちに、素早く刺していきます。それを全体のバランスを見ながら繰り返していけば完成です。グルーガンがなければ、木工用ボンドでも代用できるかと思います。簡単ですよ。

 

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ドアリース。これは直径40cm弱くらい。秋色アジサイのみのシンプルリースです。一種類だけだとモダンになりますね。

 

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暗くなってキャンドルを灯すとこんな風。秋の夜っぽいです(=´∀`)

 

ドライフラワーは、長持ちしそうに思われがちですが、私はもって2、3ヶ月くらいと思っています。色が褪せ過ぎたり、ずっと飾っているものは、清潔感もなくなっていくような気がして。だからこのリースも、10月いっぱい飾ってるかどうか。なんて言ってるうちに、クリスマスがやってきますし。

庭は四季によって勝手に景色が変わってくれるけれど、インテリアはそうはいきません。自分で変えないと、当然ながら季節感も出ませんね。庭のものを室内に取り込むという方法は、簡単に季節感を取り入れられる方法です。家全体としてみるとき、統一感も出ますし、なによりお手軽です。

そのまま飾るのもよし、今回の私のように少し手を加えるもよし。色々考えるのもひとつの楽しみ。そんなアイデアをこのブログで、これまでも随分と書いてまいりましたが。流行りがありますので、これからも、旬なアフターガーデニング、ご紹介していけたらと思います。

 

 

癒しのツボの壺 

今日は私のお気に入りの小物をひとつご紹介。石で出来た小さな壺です。

出会ったのは15年前、まだ兵庫県に住んでいた頃。神戸の元町だったか、北野だったか?もう忘れましたが、とある雑貨屋さんで一目惚れして買いました。片隅にチョコンと置いてあり、何げに異国の雰囲気が漂っていました。店員さんに尋ねると、ソープストーンという柔らかい石を、手で削り出したものだとか。

置けばまっすぐ立つものの、模様の筋が広かったり狭かったり。何の下書きもなしに、いきなり、しかもすごく適当に削りはじめた感じがします。これはやっぱり、絶対、日本人の仕事じゃないって!蓋なんか、きっと最期に削ったんだと思うけど、もうやる気がなくなってる感じがするもんね。(  ̄▽ ̄)アラー

でも、だからこそ。大らかさを感じるというか。石の模様も味があるし、なんたってスベスベです♡ 気持ちよくて、持ったら、しばらく手放せなくなるのです。蓋の裏にシリアルナンバーがあって、それがたまたま私の誕生日と同じで、「おっ!」と思ったのね。ボールペンみたいなので、すんごい雑に書いてあるんだけど。

キャンディー位しか入れるものが浮かばなくて、大体いつも空っぽの状態で、事務所のどこかに置いてあります。気分転換したいときに、時々、撫でています。犬の腹を撫でるような感じに近いかな。

 

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スベスベしてて、とても手触りがいい癒しの壺。手にちょうど収まるふっくらとしたフォルム、手触り、自然な色味、生き物のような重さ、全部気に入っています。

 

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今日はここにいます。本棚に飾ってあったり、打ち合わせのテーブルにいたり、色々です。不思議とどこにいても納まりがいいの。

 

物を入れるための壺でははくて、撫でるための壺っていうのも変ですが、私にとっては大切なモノ。モノだけど、モノじゃないって気がしてる。無くなってしまったら、泣いちゃうかも。

 

 

嵐のあと 

台風16号が太平洋側をなぞるように北上していきました。水害もあり、その後始末のご苦労をお察しいたします。ここ近江八幡市でも、昨日は大荒れで、2時間程は嵐という言葉がぴったりくるような雨風でした。今朝はまだ鬱々した空ですが、窓の外になにやら明るいものを発見。よく見ると、バラが咲いていました。

 

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オレンジ、黄色、ピンクといった暖色が混ざり合った光球のようなバラ「ディスタント・ドラムス」。秋バラなので、小ぶりですが、その明るさによって、遠くからでもよく目立つ花です。

 

バラは鉢で育てていて、台風の前に壁際へ避難させた折には、まだ開きかけという感じでした。随分と吹かれたはずですが、水滴をまとって、何もなかったかのような素振りで咲いています。植物は自ら動けないだけに、耐えてる姿や、乗り越えた姿に、イチイチ心を動かされます。この美しさは、その心根が姿となって現れているのです。

私なら、台風で電車が遅れるだけで、ブーブー言っちゃいますからね。ブーブー言っている私の顔は、ブサイクで嫌な顔です。思いは知らず知らず表情となって現れ、それがどんどん顔に刻まれていく。恐ろしや。

・・・ということはですよ。常に心根をきれいに保てれば、常にきれいな顔になってるということ、ですよね。花のように。土台は変えられないけれど、その土台なりに、きれい。

思うこと、話す言葉、きれいに、きれいに。植物に接して、花を見る度そう誓う。でも、しょっちゅう忘れる。今朝、私のバラは、またそれを思い出させてくれました。

バラよ、サンキュー。

 

 

秋の夜の手習い 

今日は小筆の練習をしました。今年に入り、先生に「仮名をやるなら古筆もやってみなさい。」と勧められ、無謀にも挑戦しております。

古筆とは、平安時代から鎌倉時代にかけて書かれた和洋書道のすぐれた筆跡のことをいうそうで、いまに伝わる色々なお手本集があるのです。私のお手本は「伝 藤原行成筆 大字朗詠集」というもの。本当言うと、まだよくわかってないけれど、平安時代の人の書いたものが、現代においても、そのまま読めて敬愛されるといることに、日本文化の奥深かさを感じ、改めて感動しています。小筆を習わなければ、たぶん目にすることもなかったでしょう。

先生曰く、一生かかっても修められないだろうということですが・・・(  ̄▽ ̄)ソリャソーダ、理屈だけでもわかれば、きっと為になるのではないかと思うの。続くかどうかわかりませんが、今のところは楽しくやってます。

画像は俳句です。自分の選んだ句を毎月二首書いています。「涼しさの 肌に手を置き 夜の秋」という高浜虚子の句です。

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お手本を書いていただいたのは、今月初めで、句と合った気候でしたが。それにしても、なかなか思うようには書けませんなー。添えた花は吾亦紅。

 

「夜の秋」とは、聞き慣れない表現。どうやら「秋の夜」と同じではないらしい。秋の気配の感じられる、夏の終わりの夜、というような意味で夏の季語です。夜風に涼しさを感じ、肌に触れてみるとすっかり冷えている。もう夏も終わりだなぁというような意味でしょうか。手を置いた肌が自分の肌なのか、はたまた隣にいる誰かさんの肌なのか?それによっては、また違った情景が浮かび、案外色っぽい句なのかもしれません。勝手な想像ですが。

そういえば一昨日のこと。なんとなく寝苦しく、薄着で寝てしまい、うっかり寝冷え。鼻水が一日止まりませんでした。あぁ、私ときたら、色っぽさのカケラもないのです。今はなんとか回復しましたが、もう「秋の夜」なのですね・・・。

皆様もお気を付けください。

 

 

八幡堀まつり2016 

昨夜は地元恒例行事である「八幡堀まつり」に行ってきました。春、夏、色々催されている中で、毎年見に行くのはこれだけです。というのも、きれいなのと、比較的静かで大人なイベントだから。

日本の古き良き時代の佇まいを残す八幡堀は、 映画やテレビドラマのロケ地としてもよく利用されるスポット。きっと知らず知らず見ている方も多いと思います。このまつりでは、水面や古民家を照らすほのかな灯りが、とても幻想的。何度見ても感動してしまいます。ブログにも毎年レポートUPしてるので、いつも見てくださっている方は、あぁそんな時期かと思われているでしょうか。

会場の旧市街地までは、自宅から歩いて20分強くらい。ランタンで照らされた街並みを見ながら、メイン会場の堀を目指します。途中で、近江牛コロッケやミンチカツを買ってビールを片手に、眺めるのが定番なの。これが美味しんだ!

 

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八幡堀に近い旧市街地もランタンがずらりと並べられ、いつもと雰囲気が違います。見越しの松もライトアップされて。中央に見えるのが八幡山。

 

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メイン会場の八幡堀り。水の流れに沿ってランタンが灯されているの。今年はその照らし方がいつもより工夫されていました。階段にもたくさん並べられ(左の明るい部分)竹のランタン(右下隅)もありました。

 

今年はランタンの数は増えていましたが、例年よりも落ち着いた明かりだったような気がします。あまり明々と照らすのも変だからかな?小さな灯りで、夜の景色がこんなにも風情あるものになるのです。見たらきっと真似したくなりますね。ロウソクは危なっかしいという方は、LEDでも暖かな色味が出てきましたから、設置方法や照らし方、器具の選定などはディアガーデンにご相談くださいね。ロウソク用のランタンも、お洒落なもの扱っています。

 

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狭い路地には竹を編みこんだランタン。これは毎年飾られています。建物と雰囲気合っていて、お気に入りの眺め。

 

堀の眺めを堪能した後、帰りの道すがら、旧奥村邸や野間邸(ボーダレス・アートミュージアムNO-MA)といった町家に寄って、イベントを楽しみました。まつりの間は無料開放されていてありがたいです。年によって違うのですが、お琴や三味線の演奏があったり、ミニ寄席だったり、内容も大人向けに考えられていて、いいなぁと思います。NO-MAのアートも素晴らしくて、これはまた別記UPしたいです。

 

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町家の塀に置かれた犬夜来の中にもランタン。風情ありますね~♡

 

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旧奥村邸では竹筒の照明が展示されていました。影絵のようでもあり。細かな細工に見入ってしまいました。

 

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彦根に本店があるお肉屋さん「千成亭」。数年前に堀そば「石畳の小路」内」出店されてます。この近江牛の鹿の子ハンバーク、たまに食べたくなるのよね。柔らかさとジューシーさは絶品で、他にないもの。家のフライパンでいただけるプチ贅沢なハンバーグです。晩御飯のオカズに買いました。

 

夕涼みがてら、ブラブラと2時間くらい。天気が微妙ですけれど、今日までですので、お近くの方は行かれてみてはいかがでしょう?マブチいちおしイベントです。

詳しい情報はコチラ→観光情報「八幡堀まつり〜町並みと灯り〜」

 

 

忘れていませんか?庭を眺めること。

秋になってようやく庭で過ごせる時間が復活しました。永遠に続くかと思われた夏の間、水やりや虫取りを頑張った自分に、ご褒美のような時間です。ガーデナーの皆様も、この週末はどうか手を休めて、じっくり庭を眺めながら、ご自分を褒めてあげてください。

チェコ作家のカレル・チェペック著「園芸家12ヶ月」の中に、有名な一文があります。

そして庭が雪の下にしずんでしまったいまごろになって、急に園芸家は思い出す。

たった一つ、忘れたことがあったのを

―それは、庭をながめることだ。

このエッセイは園芸家あるあるが詰まっています。庭を愛する方なら、きっと一度は手にされたことがあるのではないでしょうか。

庭づくりは失敗の連続でも、手をかけただけ応えてくれます。日々の小さな成果に励まされつつ、しかし季節はどんどん流れていくのですね。次やることに急かされ、振り返るとゆっくり眺めている間もなかったという。チャペック先生が、ユーモアたっぷりに皮肉って落としてくれたこのオチに、膝を叩きながら、誰もが「今年こそは庭を愛で、そこで過ごす時間も作ろう!」と思ったはず(笑)

それにしても、今年も厳しい夏でした。ここ関西は、雨がほとんど降らず、猛暑続きでね・・・。自分の心身も、庭も、乗り越えられた安堵に、少し浸ってもいいかなと思っています。

 

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渇いた風が心地よいガーデンテラスでティブレイク。今日はホットミルクティです。そろそろあったかい飲み物でもいい感じ。スイーツの代わりに栗のハチミツを少し垂らしていただきます。

 

それで涼しくなったある日。いつもは飾らないガーデンテーブルにお花を飾って、ゆっくりお茶でもしてみようかなんて。秋色アジサイ、とっておきのハチミツと気楽に読める本。好きなものを揃えて、ちょっとした時間をもつ。

 

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お茶しながら、パラパラとめくる本。この時読んでいたのは「私の好きなもの暮らしのヒント101」。色々な分野で活躍中の方々が、それぞれとっておきだと思うモノやコトを紹介したコラム集です。

 

庭を育ててる人は、庭を愛でている時も、雑草やちょっとしたほころびに目がいってしまいます。お茶飲んでいたのに、気づけばまた爪の間に土が入っていて笑っちゃう。ただ眺めることが出来ない、意に反して手が動いてしまいます。(*´д`)ナンデダロ?

かのチャペック先生、最期も彼らしいというか、なんというか。嵐で荒れた庭の手入れをしたことが原因で風邪をひき、一時回復するもののクリスマスの日、肺炎により亡くなったのだそうです。

荒れた庭を目の前にしたら、園芸家としては、手を出さずにはいられなかったのでしょうね。

わかるような。(ー人ー)チーン

 

 

十五夜の室礼2016 

今宵は十五夜ですね。夕方からバタバタと室礼をして、なんとかお月様に間に合いました。秋雨前線が停滞中で少し霞がかかったようです。それでも十分美しい。見えてよかった♡

 

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秋の草花と供物、お団子などなどを寄せて十五夜の室礼。後ろに見えているまあるい光はお月様のようでしょ?実は隣の部屋のダウンライトがうまい具合に写っているの。

 

月が好きな私にとって、十五夜十三夜のお月見は楽しみな年行事です。家に居れるときは、雰囲気を盛り上げるためにも、室礼は欠かせません。何年も繰り返していると、何となく自分の形が出来てまいります。

お団子は手作りしたこともあったけど、大きいし十五個も食べられなかったので、小さなものを食べられるだけにしています。今年は残念ながらススキが手に入らなくて、代わりに秋の草花をいつもよりたくさん活けています。シマススキは入れていますが穂がないの。田舎なので、そのへんに生えてそうですが、今日通ったところにはたまたま無くて。

ススキごときの野草、買うのもなんだかなー。田舎育ちなもので、変な抵抗を感じてしまいます(笑)ってか、そもそも売ってたっけ?

ススキがなくとも、秋の七草でよい。それもなければその土地土地の、身近に咲く野の花を活けるだけでも充分な供え物となるそうですから、変にこだわらないことです。お月様に感謝する気持ちでお供えして、楽しい一夜を過ごせれば、いいんですよ。…と、半分自分に言ってます(^^;;

 

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わかるかな?右隅に小さく光っているのは、銀のうさぎです。実は根付けです。月に因んでちょっとした遊び。

 

さ、さ、お月見をいたしましょう。

 

 

新しい庭のカタチを模索中 

事務所でブログを書いています。今は夜。

開け放った窓から、流れてくる虫の声は、松虫や鈴虫。少し湿った夜風を受けて、夏の名残りの風鈴も物憂げな音色を奏でています。互いの存在を知ってか知らずか・・・三重奏。ひとりそっと耳を傾けています。

 

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夜の事務所前。植物がいっぱい植わっているので、秋の虫たちもいっぱいいて、毎晩大合唱してるのよね。

 

虫の声といっても、本当は声ではなくて、羽を擦り付ける音。それに、優雅に歌っているのではなく、子孫を残さんがため、オスがメスにアピールしているのだそう。虫たちは人や動物よりも遥かに寿命が短い。生きるのに必死のパッチやなぁと思ってしまう。余計なお世話でしょうけど。

常々私は、虫の一生を知る度に、あぁ、自分はなんて体たらくな日々を送っているのかと身につまされます。ひたすらに命を繋ぐためだけの虫の一生、特にオスの場合は、交尾のあとメスに食べられちゃうとか、直後に絶命する場合も珍しくありません。美しくも悲しい生き様です。どんな生き物も、何かしら役目をもって生まれてくるといいますよね。とすると、松虫も鈴虫も、グロテスクで気持ち悪い虫でも、食物連鎖や環境のバランスを保つために生まれてくるのではと考えます。

こんな風に虫のことを、頭や気持ちでは、生き物として尊重しているつもりのマブチですが、これが自分の大事な庭を食い荒らす虫となると、途端に敵視してしまいます。中には集団でもって、たった数日間で木一本丸裸にするほど、獰猛な食欲を持つ虫もいますからね。そのものたちは、鈴虫のように鳴いてくれず、葉っぱの裏に隠れていて、とてもとても見つけにくい。そして生死をかけて一日一日を過ごしています。一方私達は、庭の木一本無くしたところで、死なないと確信しています。だから虫に負けるというか、好きなようにやられてしまうのです。

でも、虫にやられっぱなしでへこんでしまっては、庭の本当の良さも分からずじまいです。虫の壮絶な生に対する執念を、気持ち悪いと思ってしまっては、庭を育てる意欲もなくなるでしょう。私はそこをなんとかしたいのです。

一番は、理想論ですが、やはり庭を健全に保つことをおすすめします。植物が元気なら、虫や菌に犯されにくいです。適度に剪定されておれば、風通しがよくなり、潜まれる可能性も低くなります。植物が欲しいだけ水や肥料を遣り、多様性のある植栽にするべく、適材適所に植えていく。そうすると見た目も美しくなります。そして、食物連鎖の輪を勝手に切らないことも大事。天敵を殺さない、鳥も大事にする。・・・これで随分と無駄な殺生をしないで済みます。気持ち悪い思いも減るでしょう。

日々の庭仕事をコンスタントに続けていくこと、庭に触れて楽しむことが、本当は一番いい。いい庭というのは、設計という土台作りも大事ですが、6割以上はメンテナンスによって決まるのです。慈しみ手をかけた庭というのは、見たら一発でわかるし、本当に素晴らしいもの。

でもでも、わかっちゃいるけれど、忙しい現代。そうも言ってられないようで。求められているのは、土台で8割がた決まる庭。メンテナンスは2割程度でも決まる庭。

庭は生き物だから、育てるつもりがほぼないなんて、そりゃないよ~と本心では思っていますよ。でも楽してきれいな庭の方がいいに決まっています。何もしなくてもきれいな庭なら、作りたいと思うでしょう。都合のいい庭、というとキツイ言い方かもしれませんが、それがイマドキの方が望んでいる庭なのかな。

ま、そう書いてはみたものの、まだ具体的にはよくわかりません。放ったらかしにされたり、都合よく利用されてるなんて、私だったらいじけてしまう。そうじゃないねん、放ったらかしじゃないねんよ、という庭って。いっそ、植物のない枯山水にする?安直か。

うーん・・・(ー ー;) 皆様どの様に思われますか?ご意見賜りたいです。