細切れに秋を愉しむ

秋も深まってまいりました。

このごろは仕事に忙殺されて、せっかくの美しい秋を堪能出来ておりません。

事務所に籠る日が快晴だったりすると、恨めしく思ってしまいます。

そんなときは、シーツとか、カーテン、ソファーカバーなどの大物を洗濯してカラッと乾かす!という大仕事を自らに課し達成感を煽ってみたり、テラスに出て外気に触れ、深呼吸してストレス解消しています。

遊びに出掛けられないけれど、そこは自営業の特権で、隙間時間や移動時間などにちょっとした楽しみを見つけられなくもない。

 

移動中に少し立ち止まって一呼吸。秋の美しい光を受け輝く山、川の流れは夏と違い穏やかで見ていて癒されます。少し色付き始めていました。

 

そしてもうひとつ。造園業という職業の特権も。

現場はもちろん、材料屋さん、視察場所、お客様宅など、行く先々にはたいてい植物があり庭があり自然があります。仕事の緊張感は伴うけれど、それぞれに秋を感じられます。

先日は、とあるお客様宅で素敵な秋のおもてなしに感激しました。

栗の生菓子をいただき、更に、ご亭主がお抹茶を点ててくださったのです。

茶筅を振るときの所作や、久しぶりに見る抹茶色、お茶碗に浮かんだふんわりクリーミーな泡・・・美しいなぁとしみじみ思いました。

 

男性がお茶を点てる姿も素敵ですね。久しぶりにいただくお抹茶、とっても美味しかったです。栗のお菓子も秋を感じられて、すごく贅沢な時間でした。

 

お抹茶をいただきながら、話題は映画「日日是好日」の話になりました。ご亭主が茶道を学ぶキッカケのひとつとなった映画らしいです。

「日日是好日」は森下典子氏の同名エッセイを映画化したもので、茶道を通じて季節の素晴らしさと生きる喜びが静かに描かれた作品です。樹木希林さんの遺作としても知られています。

私はおそらく公開翌年の2019年に見て、その流れで原作も読みました。

それから昨年秋に発売された映画の制作秘話「青嵐の庭にすわる」を読んで、また映画を見返し原作も読み返して、またまた「青嵐の~」を読み返し、映画を見ては原作を読んでと、かなり沼っていたのは今年の初めくらいだったか。

美しい映像、素敵な所作や室礼が存分に味わえます。それに加え「そうそう、季節って、植物って、そうなのよ~」と共感する部分が多く、それを文章や映像で堪能できる3作なのです。皆様にも是非セットでお楽しみいただきたいです。

この作品のことを語れる相手が身近にいたなんて、と嬉しかったです。

 

これはいつぞや夫から。栗と餡の洋風どら焼き。栗のお菓子は年中あるけれど、秋に食べるのが一番美味しいですね。

 

そういえば、うちにもお茶碗と茶筅、茶匙だけはあります。

茶道の心得は全くないのですが、お抹茶飲みたさで、たまになんちゃって点前をしています。最近はそういえば使ってなかったなと思い出しました。

久しぶりに自分でも点ててみよう。

 

 

秋の夜長 灯火親しむべし

台風14号のあと、一気に秋めいた感じ。

猛暑日でないのは3ヶ月ぶりくらいでしょうか?「暑さ寒さも彼岸まで」などと申しますが、本当にそのように。

どうにか体調を崩さず夏を越せたという安堵感と、まだまだ台風シーズンなので(15号が接近中ですね)警戒心もあるし、でも大好きな秋を迎える高揚感もあって、色々な感情が湧いているこのごろです。

冷房なく過ごせるようになって、夜も寝苦しくなくグッスリ・・・あぁ、なんて快適なんだ!!!こういうのをずっとずっと待って耐えていたのです。

「暑さ寒さも彼岸まで」には、困難なことであってもやがては終わりは来る、辛抱していれば事態は好転する、といった意味合いもありますものね。

 

台風14号で所々茎が折れてしまったバーベナ・ボナリエンシス。同系の葉色のミツバハモゴウ「プルプレア」を添えて秋のテーブルフラワーにしました。今の庭の風景そのものです。

 

さて、これからはどんどん日暮れも早くなり、夜の時間が長くなります。

夜の時間をどう使おうかな?自分をどう癒してやろうかな?などと考えるのがこの時期の愉しみです。

まずは夜の自分時間を少しでも長く作るために、最近やっていること。それは夕食をごくごく軽めに済ますこと。

あとは寝るだけだから、腹五分くらいに抑えたとしても、成長期でもない中年夫婦には何の支障もありません。

元々は体重を減らしたい、それに、食品の値上げ分くらいは節約できるかもと、夫にも相談して始めたことでした。でもこれが意外と、家事の手間が減るというか、料理も後片付けもパパッと済んじゃうので、自分の時間が増えるし、精神的な余裕も生まれる様に感じています。

消化の負担が減るので内臓を休ませることが出来、睡眠の質が上がったようにも思います。

夕食の量を減らすことは、私にとって、今のところメリットしかありません。もっと早くからこうするんだったと思うくらいです。

 

食の質や愉しみは落としたくない。休日にはアペリティも少しだけ愉しんでます。秋冬は灯りを付ける瞬間が好き。ぬくもりを感じます。

 

そうして出来た時間、時には早々と寝室に入る夜もあります。

 

コロナ禍でおうち時間を充実させようと、自分好みの寝心地を追及して設えたベッドや寝具。ここに寝っ転がると昼間のストレスも忘れてしまう程の心地良さ。それ程、私の身体と感覚にフィットしているのです。

住環境というものが、心身に及ぼす影響って本当に大きいと実感しました。揃うまで自分の好みをあれこれ選別したりと、結構時間がかかりましたが、こだわって良かったと思います。

そんな大好きなベッドに寝ころび、小さな灯りの下で好奇心の赴くままにページをめくる時間の何と楽しいこと。気が付いたら夜中だったり、そのまま寝落ちしてたり。もしも翌朝早く目が覚めたら、また続きを読んでいることもあります。

室温もちょうどいい具合なので本に集中できます。秋って最高。

 

いま手許にある本。ヘンリー・D・ソロー関連本、先日亡くなった稲盛氏を偲んで一冊、最近注目している産婦人科医高尾美穂氏の本、それに生物系の本は何かしら必ず一冊。読みやすい本ばかり選んでるかも。毎月5冊以上は読みます。

 

今日は秋分の日、お彼岸の中日でもあります。

私は9月初旬に父の十三回忌法要で帰省した折、お墓参りもして戻ってきたので、この連休はのんびりしつつ少しだけ仕事をしようと思います。

シルバーウィーク後半、皆様もよい時間をお過ごしください。

 

 

庭仕事の真髄

ロシアのウクライナ侵攻が続いています。いやプーチン大統領の侵攻というべきか。

メディアで日々目にする悲惨な状況と、停戦交渉の進展のなさに、悲しみと苛立ちを感じています。

私はこの数週間、心はそのような状態で、昼間は庭作りの現場に通い、夜はある一冊の本を読んで過ごしました。

「庭仕事の真髄-老い・病・トラウマ・孤独を癒やす庭」(スー・スチュアート・スミス著 和田佐規子訳)です。

著者はイギリスの著名な精神科医・心理療法士。

彼女の存在は実はずっと前から知っていました。というのも、彼女の夫は有名ガーデンデザイナーのトム・スチュワート・スミス氏で、彼の庭に少なからず影響を受けていた私は、彼の本を持っていて、その中に彼女はご家族として登場していたからです。それでも精神科医をされていることは存じ上げませんで、この「庭仕事の真髄」を手に取ったとき初めてつながったわけ。

スミス家の広大な庭で、彼女もガーデナーとして野菜や草花を育てておられますので、ご自身の体験に基づく言葉がときどき現れます。臨床研究や論文について語る部分に対して、それがとても読みやすくて好きです。

 

ディアガーデンの本棚。最近この棚に加わった「庭仕事の真髄」と2012年に買った「The Barn Garden」。並べた2冊の著者はご夫婦です。

 

 

本書は自然と庭仕事が精神の健康に与える影響を色々な面から論じた一冊。

園芸療法についても詳しく書かれています。

庭は精神的に追い詰められた人々にとって文字通り安らぎの場所。病を患う方、ケガで身体の一部を亡くした方、貧困に苦しむ方、精神障害を持つ方、犯罪に手を染めてしまった方、人生の終わりを迎える方など、立場は色々ですが、自分の居場所を見つける一助として庭仕事と出会うのです。

戦闘の最中、塹壕(読み:ざんごう。戦場で歩兵が敵弾を避けるために作る防御施設。)に庭をつくる兵士の話、戦争捕虜や復員兵士について書かれている部分もありました。一部抜粋します。

 

驚かされるのは、庭付きの塹壕は決して珍しいものではないことと、敵味方両サイドの兵士たちが同じ様に作っていたということだ。「まず、小さな菜園、そしてその隣に小さな花の庭、そしてその横は小さな墓地、そしてそれから同じような繰り返しだ。」

兵士のギレスピーは「毒ガスが吹き下ろされてくると危険なので、防毒マスクを首のまわりにつけて、風の様子を見ていた。庭は花盛りだ。スズラン、パンジー、忘れな草など、お馴染みの花がたくさん。水やりで忙しい」と書いている。

 

生と死が奇妙に入り混じっているこの光景に不思議さを感じずにいられようか?!しかし兵士は塹壕で母と庭の夢を見るのです。その夢は安全な家への憧れ。庭は心理的な命綱となってくれていたのだと、スーさんは考えます。

 

戦争から戻った人々は生きることへの愛着状態が新しく作り出されない限り、このような人々は、仕事にも漬けない状態で、社会的に孤立してしまい、生きることからすっかり手を引いてしまう危険があった。

心的外傷は、土台から根こそぎ動かしてしまうようなやり方で、心の中の風景を変えてしまう。ガーデニングで身体を使って動くことは、その意味で重要なのだ。爪の下に泥が入り込む、自分自身を土の中に埋め込むような感じ、そしてその過程で、その場所へ、そして命へと繋がっているという感覚を再構築するのだ。

 

戦争に関する章を読み進めながらウクライナで戦っている兵士たち、そこに暮らす人々のことを思わずにいられません。

生き残れても、心の戦いは、たとえ物理的な戦争が終わった後もずっと長く続くでしょう。

それは侵攻を受けた側だけでなく、侵攻した側の兵士たちも同じ。元の精神状態に戻るのは難しいし、回復への道のりは長い時間と痛みを伴うもの。想像を絶する道のりなのです。

だから戦争を始めた者の罪は極めて重い。

しかし、庭仕事が一筋の光を与えるのには違いないのです。

庭仕事がここまで人に影響を与えるものなのかと、これ程考えさせられる本はないかもしれません。

 

ケネス・ヘルファンド(歴史家)は著書「挑戦的な庭」の中で次のように述べている。

「平和とは単に戦争がないというだけではない。胸を張って主張するものだ。庭は単なる避難や小休止ではなく、積極的に目標を、手本を示すものだ」

 

とても部厚い本でまだ全てを読み切っていませんし、理解もできていません。

何度も何度も読み返すことになりそうな一冊です。

 

 

眠りに導く最も効果的な香りとは?

雨が季節を進めて、肌寒い週明けとなりました。

先週までの気温は9月並みだったところ今週は11月並みということで、一気に2ヶ月も進んだことになります。予報で聞いていたので、羽織ものや寝具を暖かいものにと準備はしていたのもの、やはりこの気温差は身体に堪えます。

私の場合は、ウィークポイントである鼻が一番に反応して、朝起きてから暫くの間、くしゃみ・鼻水が止まらなくなります。血管運動性鼻炎、いわゆる寒暖差アレルギーという症状で、温度差が7度以上になると出やすいのです。

これが始まると「あぁ、これから寒くなるんだなー」って、ものすごく実感します。

でも暑いよりは寒い方が好きなので、これから季節を楽しみにしています。

 

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寒くなってきて、ますます心地良くなるのは、ベッドでお布団にくるまっているとき、ですよね。

春頃から少しづつ寝室のインテリアを変えているせいか、眠ることに関心が高まってきました。

年齢のせいか、眠りの質が落ちているような気がして、休息の大切さを痛感しています。疲れは一応取れているので、あまり神経質にならずともよいのかもしれませんが、自分なりに満足できる睡眠を求めて、生活習慣を見直したり、寝室の環境を整えたり、デジタルデトックスは努力中ですけれど・・・まぁ色々とやっている最中です。

今日はその中から、植物の香りに関することで「眠りに導く効果が高い香りについて」書きます。

良く知られているのはラベンダーですが、それよりも更に効果が高いのは、森林の香りだそうです。

「芳しき植物たちの秘密 香りとヒトの科学」(田中修、丹治邦和/共著)によれば、一般的に森林の香り、森の香りと呼ばれるものの主役となっている成分は「ピネン」と呼ばれるもので、マツやヒノキ類、スギやクロモジなどの樹木に多く含まれています。そもそもピネン(Pinene)という名前も、マツの英名「パイン(Pine)」に由来しているということです。

ピネンは人間にリラックス効果をもたらすことやストレスを和らげることが知られていますが、「睡眠にも影響しているのではないか」と2018年東京大学大学院農学生命科学研究科で調べられました。何の香りも嗅がない人とラベンダーやピネンの香りを嗅いだ人とで、眠りに入る時間を比べた結果、ピネンが一番短い時間ですぐに眠ることが出来たということです。

原始の時代から長くヒトは森林の中で暮らしていたことを考えると、ラベンダーよりピネンというのは納得がいきます。

寝つきが悪い方、一度お試しあれ。

 

アロマポットでスギの香りを漂わせて。キャンドルの小さな灯りも心を和ませてくれます。夜の照明は暖色&暗めにし、寝る前は更に絞って。

 

私は余程の心配事がない限り、もしくはスマホさえ触らなければ、15分以内には眠れます。

この点に関しては、若い時より今の方が良くなっていて、入浴を早めに済ましたり、照明を暗めにしたり、ストレッチやヨガをして身体解しをするなどの習慣が功を成したようです。

でも効果的な香りがあるなんて知ったら、とりあえずやってみたいと思うじゃないですか。

それで、ストレッチの時間に合わせて、アロマポットに森林系のエッセンシャルオイルを垂らし香らせるようにしました。時々、ストレッチの時間にキャンドルを灯していたので「ついで」です。

気分が静まっていくような香りで、よりリラックス出来るのは間違いありません。自己満足度が高くなり、いい気分でベッドに入れます。もともと寝つきは悪くはないので、特別早くなったようには思わないけれど、変な時間に目が覚めなくなったような気がします。何か相乗効果があるのかもしれないな。

ピローミストやルームスプレー等で香らせるの方が手軽かな?ついでにボディオイルもピネン系に変えようかな。

なーんて、拘り始めると止まらなくなるのでした (^^;

 

 

ブロンズ製道具の検証スタート

毎年、秋になるとディスプレイガーデンの宿根草再編を行います。

昨今の日本の気象を鑑みると、特に草花は、秋に植えるのが良いと思っています。

春に植えても、庭の鑑賞時期は梅雨までと、僅かな期間しかありません。この頃の夏の気候があまりに厳しいため、それ以降、植物は美しくならなくなりました。それに肝心の庭の主、人間が、長く庭で過ごせない状況になってしまっています。

ですから、新しく草花を植えるのなら秋がおすすめ。冬までに根をある程度育て、春の早い時期から芽吹かせるようにすると、少しでも長く鑑賞できます。

さて、ディスプレイガーデン。今年の生育状況を振り返り、良かったもの、例えばフウロ草「ブルーサンライズ」やレンゲショウマを増やしたい。上手く育っていないものは移植です。前庭は、苔の修繕を。それから2m程の低木を1本追加するにあたって、既存の植物の移植もあり。

実際、全てをやるか分かりませんが、思いついただけの作業でも、なかなか大変です。

 

事務所での私の定位置。この窓から見える景色が急変しています。住宅が建ち始め、歩道を歩く人が増えました。目の端にチラチラと動くものが入るので集中できないのです。低木で窓の下半分をカバーしようと思います。

 

草花の移植に当たり、今年は新しいツールを試します。

それはブロンズ製の移植ごて。本当はシャベル(関東でいうスコップ)も導入したかったのですが、残念ながら在庫切れで買えなくて、とりあえず小さな鍬を。これは雑草取りや狭い範囲の土を均すのに使います。

 

銅製の移植ごてと小さめの鍬を導入しました。機能性がありながら、飾っておきたいくらいエレガント。ハンドルはブナ材で出来ており手によく馴染みます。エイジングも素敵になりそう。

 

銅は土壌の水分バランスを整え、植物の光合成を促し、病気や寄生虫に対する抵抗力を高めます。銅の園芸道具を使用すると、道具から銅が微量に流出し、自然に土壌改良を行うというのです。

鋼鉄製の鋤が土壌の水分やエネルギーポテンシャルや栄養に満ちた微細エネルギーを損なう一方、銅製の鋤は土壌に多くの水分を保持する能力があり、成長が促進され土壌の肥沃さが高まります。

これは私の愛読書「自然は流動する」の中で、何度も読んでいた話。読んで知っているだけでは意味がないと思って、銅製の道具を探すのですが、ほとんど見かけません。そうこうしているうちに、探すことを忘れてしまいました。

 

オーストリアからの輸入品PKSのブロンズツール。残念ながら日本ではこのようなものは見かけません。

 

それが今回、あるきっかけがあり、PKSのツールを購入できました。これで実際に自分で検証してみよう。

検証といっても、データを取るわけではなくて、総合的な印象や植物や土の状態の良し悪しと言ったことになろうとは思いますが、入手ルート含め、また改めてブログでお伝えしたいと思います。

今日のところはチラリと前振り。

 

 

ムック本「小さな家。」

家づくり真っ最中の方、ナチュラルなインテリア好きの方におススメの素敵な本を見つけました。建物と緑の関係性もすっごくいい感じ。参考になりますのでご紹介します。

ページを繰りながら、行きつ戻りつ何度も眺めてはため息。あぁ素敵。これはデジタルではなく紙でじっくり見た方がいいかも。

 

「小さな家。」時をつむぐ、豊かな暮らし(発行:株式会社エクスナレッジ 1,600円+税)

ひと昔前は、少しでも大きな家に住むことが、豊かさの基準の一つでした。けれど、暮らしや住まいの質がよくなったかというと、そうではありません。もう、ものも多く入らないし、家を大きく作ろうという時代は終わりました。これからは身の丈にあった家で、豊かに暮らすことを目指す時代なのです。(序文より引用)

 

延べ床面積48㎡から116㎡の「小さな住まい」の記録

 

小さな家とありますが、掲載されている住まいはどれも狭さを感じさせず気持ちよさそう。共通点は、ライフスタイルに沿った間取り、無垢の建具や家具の上品な佇まい、そして視線の抜ける先には溢れる緑、です。

街中であっても、自然を近くに感じられるような暮らし・・・季節や時間で変わる光を楽しんだり、窓外の緑を愛でながら寛いだり、そんなことが当たり前に取り入れられている住まいばかりです。背景が素晴らしいのでインテリアも映えるんです。

 

家の中も外も溢れんばかりの緑のお宅。インテリアも素敵ですが緑があると生き生きとして見え暮らしに潤いを感じます。

 

 

私はガーデンデザイナーですから、庭目線で見ますと、

とてもさり気ないのですが、成功の要因として、ご近所の庭や裏山、公園の緑など、借景となりそうな要素を見逃さずうまーく取り込むような窓の切り方や、庭木の配置が伺えます。

インテリアと庭の間にもグリーンが配されているので、視線が自然と流れていきます。絵になります。

景色づくりって何気に大事。それがわかる実例でもあります。

 

 

お気に入りのランタン

朝夕が冷え込むようになってまいりました。今朝は足元に小さなヒーターを置いてブログを書いています。

私は眩しい新緑の頃と同じくらい、冬に向かっていくこのシーズンが好き。

日中は上着を羽織れば気持ちよく外仕事は出来るし、空気が澄んで光や月もきれい。庭は紅葉という見せ場の後、落葉が始まってどんどんスケルトンに。休眠に向かっていく気楽さがあって何だかほっとします。

さて、これからは夜が長いので、お楽しみをひとつ追加しました。

展示会でたまたま見かけて一目惚れ。発売と同時に手に入れたBALMUDAの新作「The Lantern」です。

 

「よい時間をお過ごしください」パッケージも素敵なんだなぁ。

 

充電して使うポータブルLEDランタンで、つまみを回すと無段階に明るさを調整できます。

バルミューダらしいなと思ったのは、オーソドックスでいてモダンなデザインと、照明の色の変化が柔らかいところ。

我が家ではオーブンレンジもBALMUDAですが、操作や機能がシンプルなところが気に入っていて、このランタンもそんなところに共通点を感じます。

 

BALMUDA「The Lantern」早速ディスプレイガーデンのテラスに持ち出し

 

ガーデンテーブルで照らしてみました。暖色系は暗めで雰囲気あります。

 

ディアガーデンのテラスは、もともと明るさセンサー付きのLED照明を2基備えてあります。

といっても、煌々と照らしているわけではありません。ライティングデザインは、TPOに合わせて明暗をコントロールするもの。ベースとなる照明は月光の如くふんわり全体を照らし、あとは植栽用の照明をひとつ設置。こんな風にベースライトを仕込んで置くとプラスαで色々変化が楽しめます。

私は時々キャンドルを灯したり、クリスマスの時期にはイルミネーション照明を飾ったりしていますが、そこに今回、手軽なこのランタンも仲間入りです。それぞれに雰囲気が違っていいものです。

 

明るくするとふんわり温白色

 

ところで一番身近な自然といえる庭に置いていいものというのは、

  1. その存在がほとんど感じられないようなデザイン。
  2. 植物を引き立て置くことでより雰囲気が良くなるデザイン

この二つのうちどちらかだけ。植物や空間の美しさを生かすために、こればっかりは有るか無いかゼロイチで考えた方がいいと思うの。このランタンは2番の方ですかね〜。おすすめです。

 

普段は読書灯としてソファやベッドサイドで使ってます。

 

非常灯としても。よくあるランタンのようにごつくないのでインテリアにも馴染みます。

 

一番暗くすると最長50時間も充電なしで使用できるそうで災害時の備えにもなります。キャンドルや懐中電灯は備えているけれど、被災した方々のお話で、夜の暗がりがとても不安だったとお聞きしたので、念には念を。

とっさにキャンドルは灯せないし、懐中電灯は慰めにはななりません。何かあればまずはこのランタンが役立ってくれることでしょう。

 

 

春に向けて植栽リサーチ 

春に向けて、いくつかの現場用に植える花苗をピックアップしています。これまでの経験から頭に浮かぶ植物に加え、ナーセリーのカタログを見たり、種苗店に足を運んだりして詰めています。

選んだ植物が実際手に入らないと意味がないので、流通しているかどうかは大事なポイントです。

 

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先日、種苗店に伺うと、温室の中は春の花の香りでいっぱいでした。甘いと言うよりはスッキリとした香りで、何とも幸せな気分になります。この香りはどの植物から漂ってくるのだろう?と鼻を頼りに探りながら花から花へ。この日はエニシダとアリッサムの香りが特に印象的でした。

 

春に咲く常緑低木のエニシダが周りに素晴らしい香りを振りまいていました。こんなパフュームがあればいいのに!

 

球根植物のアネモネ。色々な品種が出回ってます。庭植えにオススメは断然一重咲きのもの。

 

一重咲の白いアネモネ「ドリーミングスワン」とリクニス「ホワイトロビン」の素敵な寄せ植え@浜松フラワーパーク

 

華やかな外来種に目を奪われつつも、この日の目的は山野草の品種確認。そのコーナーに行くと、なんというかめっちゃ地味。他の外来種とは明らかに違う。まだ芽吹いておらず冬って感じのポットばかりです。

誰も見てないし(^^;

元日の抱負で述べたように、日本のモダンメドウを追求したい私としては、やはり自生種にこだわりたい。このような山野草の組み合わせも積極的に考えていくつもりです。その上で、侵略的でない外来種も、日本の自然と雰囲気に合うものならば、ゲスト扱いで合わせてもいきたい。

 

山野草は今は土しか見えてないものばっかり。地味だ~(T_T) でもあとひと月もすれば芽吹くでしょう。

 

クリスマスローズも新品種ゾクゾク。これは和洋どちらの庭でも合いますね。お値段は結構しますが、毎春こんな素敵な花が見られるなら、ねー。

 

ほとんどの宿根草は3年程で成熟します。風通しをキープしつつ、ある程度密生させると、その期間に根っこ同士のコミュニティができて、ほかの雑草が生えないと言います。

以前読んだ「樹木たちの知られざる生活」の中にも書いてありましたが、山や森の木たちも根っこ同士のコミュニティがあるそう。地上部だけでなく、地下でもそれぞれが根で情報を伝えたり、時には養分を分け合ったりもしているのです。それが全く見えないし聞こえない鈍感な人間は、まさか~と思ってしまいますが、菌類やホルモン・香り成分などを使ってやり取りしてるそうです。微量でも感知できるのですから、すごい感覚ですよね。

森や山の木が手を貸さずともスクスク成長していくのは、住宅や道路に植えた木がそんな風に育たないのは、コミュニティがあるかないかの違いもあるのかも。私はそう思っています。

だから「出来るだけ植えないで」という要望がなければ、普通にたくさんの種類と株数を植えます。もちろんデザインということもありますが、コミュニティを作れるといいなとも思うから、色々な植物を混ぜてたくさん植えているのです。

人間でも一人ぼっちは生きにくい。動物も昆虫もそう。植物もきっと同じなんだね。

 

 

関守石のさり気なさ、から派生して 

茶庭、露地ともいいますが、そのお庭で「この先ご遠慮ください」という場所には、「立入禁止」と書くかわりに、石がひとつ、そっと置いてあることがあります。

小ぶりで丸みのあるその石は、縄で器用に縛られています。その縄の先をひょいと持って、ちょんと置いた、そんなさり気ない感じなのです。ただ石を置くだけだと、きっと見逃されますし、座りも悪く、すぐ転がって行っちゃいそう。縄には意味があるんですね、きっと。

 

飛び石や延段に置かれた石は「この先ご遠慮ください」の意。色々な呼び方はありますが、私は「関守石(せきもりいし)」と呼ぶのが好きです。

 

「入らないでくださいよ」という気持ちが、たったひとつの石で表現されていることに驚きます。小道の途中に置いてあるため、どなたでも、例えば外国の方でも何かしら気づくはず。庭に溶け込んでいる様子が美しく、ダメと言われているのに、嫌な気持ちは全くしません。むしろ「露地ではこういう事すらも、粋に表現するんだな。」って思いました。

自分の言いたいことを、こんなにさり気なくスマートに伝えられるなんて素敵だな。

さり気なさってセンスですよね。

さり気ない行い、さり気ない装い・・・それらのベースには常識や良心があり、控えめながら、どこか光るものがあるというか。その方の細やかな心配りの現れかな、って思います。大人な振る舞いの最たるもの、憧れます。

どうすればそのようなことが出来るようになるのでしょう。

ひとつのヒントが、最近読んだ本「坐禅のすすめ」(臨済宗全生庵住職 平井正修著)の中にありました。

禅の修行僧のことを雲水と呼びますが、その方たちは修業期間中は道場で生活されます。行住座臥の一切合切が修行ですから、例えば、朝、起きるときは、音や太鼓が打ち鳴らされたら、ただちに起きて身繕いをし、本堂に駆けつけなければならないそうです。暖かい布団の中で「あと5分・・・」など余計なことを考えている暇はありません。直ちに本堂へ行くには、起きる事に専念し、そこに心を配ること。それでいっぱい一杯なんだそうです。読経も、食事も、掃除も、托鉢も、何もかもが同じ調子。

そのときやるべきこと、目の前のこと、当たり前のことだけに心を配る。これがね、かなり難しいことで、普通は何かをしながらも、つい別のことを考えたりするものです。雑念だらけで「心ここに非ず」なことが多いのは、私も自覚するところ。それで手落ちがあったり、バタバタするのかなぁと思います。見ているようで全然見えていない、だから見逃す。あぁ。さり気なくスマートにこなすとは遠い姿。

禅の修行で、来る日も来る日も何年間も、そうしたことを続けると、何をする時も自然に心が配れるようになる、心を配るという思いを持って何事にも迎えるようになるといいます。

そうして「心を配る」という思いを持っていると、物事に対する向かい方、ふるまい、所作が変わってくるのだそうです。さり気なさって、まさにそれかな!と思いました。

ちなみに雑念を消すには、坐禅がよいトレーニングになるそうです。坐禅と瞑想、似ているようでちょっと違うみたい。坐禅は、まず禅僧の指導を受けることが重要なポイントで、それは、初心者に教えることが奥義であり極意であるから、とありました。正しいカタチから入り、それを身体で覚えることが大切なんだそうです。

なるほどー。で?坐禅会に?行ってみる???

 

 

いい家とは?-「トトロの住む家」より

お盆休み中に読んだ本で、宮崎駿監督の「トトロの住む家」をご紹介したいと思います。絵が素敵です。

 

住む人の心根が偲ばれる・・・、そんな家を宮崎駿監督が訪ね歩き、その風景を絵と文で綴る。2010年7月に完成した宮崎監督デザインの公園「Aさんの庭」の新たな写真、インタビューも収録した増補改訂版です。

 

そういえば、先日TVでたまたま「となりのトトロ」が放送されてましたけれど、ご覧になった方いらっしゃいますか?

私はこれまで何回見たかわからない程ですが、やっぱり最後まで見てしまいました。可愛らしくて不思議な物語は、いつ見ても心がほっこりと温かくなります。そして、あの田舎の景色、美しくて懐かしくてキュンとします。

私が幼児の頃は、田舎ということもあって、村の中はまだ舗装されていない道も多くありました。恐らく小学生になる前後くらいには舗装されたと記憶していますが・・・。そんな世代ですので、物語に出てくる畦道とか、青田を吹き抜ける風とか、家の土間のヒンヤリ感や縁の下、あちこちにある仄暗い場所など・・・ああいった雰囲気は実感として残っています。なので懐かしい。

曲がりくねった土の道、屋敷を囲む青々とした生け垣、昼間でもヒンヤリ暗い場所、そんなものが少なくなりました。

それでこの本。

宮崎駿監督が仕事の合間に散歩して見つけたお宅の様子が描かれています。東京の高円寺~吉祥寺あたりで昭和初期に建てられた7軒のお宅。どのお宅も変に増改築をされず、丁寧に住まれており、広い敷地には緑豊かなお庭があります。開発の波に逆らうように、そこだけ時間が止まったかのような風景なのです。

宮崎監督は、建物だけじゃなく庭のあり方にも重きを置いておられるようで、そのお考えにとても共感しました。いくつか本文から抜粋させていただきます。

そうなのだ。住まいとは、家屋と、庭の植物と、住まう人が、同じ時を持ちながら時間をかけて造りあげる空間なのだ。私たちの住むこの土地では、少しでも隙間があれば植物は生えてきてくれる。その植物たちと、生きもの同士のつきあいをしている家、時にはためらいながら鋏を持ち、でも植物へのいたわりを忘れない家、それがいい家なのだ。

 

ぼくは、子供が育つには、光や暖かさだけでなく、闇や迷宮も要ると考えている。ぼくがどんな家に興味をもつかというと、それは「闇」みたいなものがある家ですね。それを作った人や住む人の、心の襞(ひだ)の奥行きが感じられるような。庭はね、ちょっと荒れた感じのがいいですね。地域全体で、緑を育てよう、いい感じの空間をつくろうという見識をもっているのがいいですね。

「ちょっと庭が荒れている」というのは、庭の植物を育つままにさせておくからです。植物好きは、やはり敷地の形通りにスパッと切れないものです。美しい枝、元気な枝は切れないのです。植物の自由にさせてやりたい気持ちもあるのです。

でもそこはご近所の方のお考えもあって、自分の価値を押し付ける訳にもいかず、難しいところです。だから「地域全体で緑を育てよう」という見識があればいいなぁと、身勝手ながら思うのです。

「お宅のモミジ、今年もきれいに紅葉していますね。うちには木がないけれど、お蔭で秋を身近に感じられます」という発想か、それとも「モミジが紅葉して落ち葉がうちにまでくる!ン、もう!許せん!」という発想か。その方の捉え方次第で、モミジの形は随分と変わり、景色も変わってきます。

もちろん落ち葉は掃除しますよ。しますけれど、多少の迷惑にあくせくせず、充ち足りることを知る、そんな大人の余裕があれば、どんなにか世の中過ごしやすいだろう・・・っていうことを宮崎監督はおっしゃっているんです。

ディアガーデンのご近所さんは、有難いことに、大人の余裕をお持ちな方ばかりです。それに甘えてはいけない!って、もちろん自覚もしていますけれど。

 

ディアガーデンの前庭より。ペニセタム「JSジョメイニク」がふわふわと可愛い穂を出しました。秋になってうまく枯れたらいいなぁ。

 

また本文中に戻りますと、こんな苦言も。

花を植えたらいい人になれるわけじゃない。本気で手入れをしているから住みやすい、いい庭になっていたわけで、それができないところにいい家もいい庭も、いい景色もない。だから手入れができないならば花も勝手に植えるもんじゃないんです。

 

結局住みやすさって、自分を語ることじゃないんですね。大事なのは借景です。自分の住まいをいかにして人様に借景してもらうか、ということを考える。いかに自己主張するかじゃないんです。そして自分も人様のところを借景する。そうやってお互い様というふうに考えれば、結局は人との出会いと繋がりで、感じのいい風景というのは出来ているものなんだと思います。

いま自己主張しない家を設計する建築家はいないのでは?・・・なんて、炎上覚悟で書いてしまいました(^_^;

隣と違うデザインの家、というのは大前提ですし、大体が外界を追い出し、内に向いた形ですので、隣との風景のつながりなどは、設計当初から頭にない。それが当り前。宮崎監督の思う「人と繋がりのある住みやすさ」を叶えるのは難しいのかもしれません。理想論ですよね。理想とも思わない方もいらっしゃるでしょう。

ただ造園をやっている者としては、こんな風に考えてくれる建築家、住宅会社が増えると、絶対風景は変わるし、暮らしが変わるのでは?新しいことをやってるな!って、違う意味で自己主張できると思ってます。

それと、色々なデザインの家を繋げ、景観を作っていくのは、庭の緑しかない!とも思っています。